サッカー嫌いの女子高生がオシム監督にハマるまでの180日間
今朝、こんな記事を読んだ。
内容はタイトル通り、女性のスポーツ観戦者はどうしたら増えるのかという話。
私自身、スポーツを見るのは苦痛という人間だったが、今から10年ほど前にいろいろあって熱狂的なオシム監督のファンになり、ジェフサポになったのでその経緯を細かく書いてみる。
そもそもサッカーが嫌いだった
2002年の日韓W杯。中学3年の私にとってサッカーはただの緑の画面だった。90分も緑と豆粒人間を見続けるなんて苦痛。なのに翌日には高視聴率!なんて狂気の沙汰だと思っていた。
とはいえコミュニティもコミュニティ。女子校で進学校。いわゆるサッカー部のイケメン先輩が周りにいないので、サッカー?なにそれ美味しいの?状態。
どちらかというとみんなさめていた。女子3人くらい集まると、
A子「ちょっとちょっと国民浮かれすぎでは〜??」
B子「いやいやイルファンとベッカムはイケメン」
C子「DFとFWの違い分かる?」
A子「DFは前にいる人でしょ?ww」
C子「いやいやwwそれFWだからww」
A子「(赤面)」
B子「てかボランチってなに?ボランチってなに??」
A子もとい私は、知ったかぶりでDFとFWを間違えたことをきっかけにさらにサッカー嫌いになった。
情熱大陸でサッカーにハマる
それは、ジャニーズやミュージシャン、お笑い芸人など、王道コンテンツに一通りハマった後の高校3年の時に訪れた。
サッカーと交わることのない生活を送っていた私は、吉本興業にハマりすぎて、成績の悪さがピークに。赤点の常連メンバーは進学校では危険人物扱い。
このままだとやばい、勉学に励もう。そう決意した日曜日の夜、たまたま見た情熱大陸の宮本恒靖に感動した。
精神的にも肉体的にも人間的にも素晴らしいイケメンの生き様を見て感動に包まれた私はその日から(にわか)サッカーファンになった。
情熱大陸からのコンフェデ杯への華麗なパス
ただしそこは三日坊主。というか1時間坊主。結局、情熱大陸が終われば、次のバラエティ番組にその感動はかき消される。
はずが、情熱大陸効果で深夜の受験勉強のお供にコンフェデ杯をたれ流していたら結果的にガン見。豆粒の面白さに気付く。
それからはまるで地元応援団かのようにガンバ大阪ファンを名乗り出し、ツネ様って超イケメン〜〜!と吹聴しはじめた。
B子やC子は「黒いマスクしてた人?」「遅くね?」と冷ややかだったが耳には入らない。
吉本興業のファンダンゴTVのために契約していたスカパーは、Jリーグパックのためのスカパーになり、カード目当てにポテチを買い漁る日々がはじまった。
2005年ヤマザキナビスコカップ決勝で乗り換え
大阪まで遠征できずもっぱらスカパーとNHK-BS観戦をしてはサッカーaiを読み込む生活をしていた私にそれは突然訪れた。
ヤマザキナビスコカップ決勝戦。2005年はガンバ大阪vsジェフ千葉。どちらが優勝しても初タイトルだった一戦はサッカーに詳しい人なら記憶にあるかもしれない。私にとっては初の生ツネ様でかなりテンションが上っていた。
だが試合は延長戦まで終えて0−0。PK戦でガンバ大阪は負けた。負けて悲しんだかというとそうではなく、その時に見たジェフ千葉のサッカーに感動して、その日からジェフ千葉のファンになった。
試合後はその足で市原臨海に向かい、さも数年前からの古参ファンかのように優勝祝賀会に参加した。
オシムの言葉とフクダ電子アリーナ
ジェフに乗り換えたのにはあと二つ理由があった。
一つはその頃に発売されたオシムの言葉。ジェフサポ必読書と思って読んでみると、それが号泣ものだった。途中から涙が止まらなくなり、そこで情熱大陸の感動が上書きされた。
もう一つはそのタイミングで完成したジェフの新スタジアム「フクダ電子アリーナ」。新しいもの好きな都会のミーハー女子高生には、コンクリ打ちっぱなしのできたてスタジアムがクールに見えたし、千葉にあるその場所はなんだか自分だけの特別な居場所のように感じられた。いわゆる中2病。
頭の中がオシムで満たされ東京から逃げる
高校3年生の12月。周囲が受験勉強で最後の追い込みをするなか、私の頭の中はオシム監督でいっぱいだった。
学校でもオシム監督の話しかしなくなり、優しかったクラスメートもいよいよ苦い顔をしはじめた。B子やC子に対しては、オシム語録を引用した通称:オシム語りをはじめたことでめんどくさがられた。
ある日、東京に居場所はなくなったと、学校に行くふりをしてジェフ千葉の練習場に行った。
その日の練習場は市原スポレクパーク。駅まで行けばなんとかなると思って最寄りのJR八幡宿駅までいくもそこからがしんどかった。
今でこそソースコピペでブログにポンのGoogleMapだが、当時リリース1年未満でそもそもガラケー使いの私は、すれ違う人全員にすがる思いで、サッカー場はどこですか…サッカー場はどこですか…と聞きまくった。
「知らない」「たぶんあっち」「分からない」それらを頼りにたどり着いた先にはオシム監督がいた。情熱大陸からここまでだいたい180日くらい。
この一連の流れはマーケティングで再現できるのか
あの日に情熱大陸を見ていなかったら私はサッカーにハマっていなかったし、オシム監督に傾倒することもなかった。
ひょっとすると別ルートでオシム監督にたどりついていたかもしれないけど、ひょっとしたらハンカチ王子から入ってノムさんにたどりついていたかもしれない。それは分からない。
でも一つだけ言えるのは、情熱大陸の宮本恒靖の全てがイケメンだったこと、彼がコンフェデ杯に出ていたこと、彼の所属チームが東京で初タイトルをかけた試合をしたこと、その試合が面白かったこと、その試合の後に出版されたオシムの言葉に感動したこと、ジェフのスタジアムができたてだったこと、オシム監督に会いにいけたこと。これらが180日の間に起きたことが全てだと思う。
何が言いたいかって、結局、あのプロモーションでファンが増えましたとか、あのグッズのおかげで売上げが増えましたとかそういうのじゃなくて、もう本当に愚直に、いい番組にでるとかいい試合をするとかいい本をつくるとか。そういうことの積み重ねでしかないなと改めて思ったんです。
12年前に女子高生だった私ですらこうやって本物に触れて何かにハマっていくんだから、大人になったアラサーの私も小手先のテクニックに頼るのではなくて、本当にいいものを生み出し続けていきたいなと思った次第です。